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歴史クイズ年数順詳細付きまとめ表
年数 | 出来事 | 詳細 |
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107 | 倭国王帥升が後漢へ生口160人を献じる | 生口とは弥生時代の日本における捕虜、奴隷を指す。「後漢書」には倭国王帥升が生口を献上、謁見を請うてきた、との記述がある。 |
239 | 卑弥呼が魏の皇帝から金印を授かる | 邪馬台国の女王卑弥呼は度々魏に朝貢し、倭国王であることを意味する「親魏倭王」の金印と100枚の銅鏡を授かった。 |
527 | 朝鮮半島へ出兵しようとしたヤマト王権軍の進軍を、新羅と結んだ筑紫の国造磐井が阻み、翌年、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱。 | |
538 | 百済の聖明王が日本に仏像と仏教経典を送った。※552年説もあり。 | |
587 | 仏教の礼拝をめぐって、蘇我馬子と対立した物部守屋が乱を起こし滅ぼされた。 | |
603 | 聖徳太子が制定した冠による位階制。 | |
604 | 推古天皇の時、聖徳太子が定めたとされる日本最初の17条からなる条文。 | |
607 | 聖徳太子が小野妹子を隋に派遣した。 | |
607 | 奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗のお寺で、世界最古の木造建築。1993年に日本で最初の世界文化遺産に登録された。 | |
608 | 小野妹子らの遣隋使の答礼使として来日した。 | |
630 | 犬上御田鍬が第1回遣唐使として派遣された。 | |
645 | 中大兄皇子、中臣鎌子らが宮中で蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏を滅ぼした事件。 | |
645 | 中大兄皇子(のちの天智天皇)、中臣(藤原)鎌足らが蘇我氏を打倒して始めた政治改革。 | |
663 | 朝鮮半島の白村江での唐・新羅軍と日本・百済軍との戦い。百済を救援した日本軍は大敗し、百済は滅亡。 | |
667 | 中大兄皇子によって都を近江大津へ移した。 | |
670 | 庚午(こうご)の年に作成された戸籍。日本最初の全国的な戸籍。 | |
672 | 天智天皇の弟の大海人皇子と天皇の長子である大友皇子が、皇位継承をめぐって起こした内乱。 | |
690 | 庚寅(こういん)の年に作成された戸籍。以降、6年ごとに戸籍が作成されるようになった。 | |
694 | 天武天皇の跡を継いだ持統天皇が、天皇の権力を一層強めようとして造営。日本史上、最初で最大の都城。 | |
701 | 「律」6巻、「令」11巻の全17巻の日本古代の基本法典。刑部(おさかべ)親王、藤原不比等らが編集。 | |
708 | 本格的な貨幣が日本で初めて鋳造された。 | |
710 | 元明天皇が藤原京から遷都。 | |
712 | 始めは天武天皇の命令で編集が進められたが、元明天皇に受け継がれこの年に完成した。太安万侶によって筆録された現存する日本最古の歴史書。 | |
713 | 元明天皇が諸国に命じて、その国の地勢、産物、地名の由来・言い伝えなどを記録させた日本最古の地理書。 | |
720 | 日本最古の正史で、この年に舎人親王らによって完成した。 | |
723 | 開墾奨励のために出された法令。新たに用水を設けて開墾した者には3代にわたって、旧用水を利用して開墾した者には本人1代限り、開墾の私有を認めた。 | |
729 | 藤原氏によって長屋王を打倒するために仕組まれた政治的陰謀事件。 | |
740 | 藤原広嗣が政権への不満から福岡の大宰府で挙兵したが、官軍によって鎮圧された内乱。 | |
741 | 聖武天皇によって出された、各国に国分僧寺と国分尼寺を建てる命令のこと。 | |
743 | 開墾地の永年私有化を認めた法律。 | |
743 | 聖武天皇が盧舎那大仏像の造顕を発願した。 | |
751 | この年に完成した日本最古の漢詩集。編者不明。 | |
752 | 745年に聖武天皇の発願で制作が開始された。国宝に指定されている。 | |
757 | 橘奈良麻呂が藤原仲麻呂を滅ぼして天皇の廃立を企てたが、密告により露見し未遂に終わった事件。 | |
757 | 718年に藤原不比等らが大宝律令を一部修正して編纂した律・令各10巻の法典。 | |
759 | 日本最古の和歌集。天皇・貴族から農民まであらゆる身分の人の和歌が収められており、大伴家持が編纂したと言われる。 | |
759 | 唐から来朝した鑑真が奈良市五条町に建立した寺院。律宗の総本山。 | |
764 | 孝謙天皇・道教と対立した太政大臣の藤原仲麻呂が軍事力をもって政権を奪取しようとして失敗した反乱。 | |
784 | 桓武天皇の勅命により、平城京から遷都。 | |
788 | 最澄によって滋賀県の比叡山に建てられた。日本天台宗の総本山であり、1994年に世界遺産に登録された。 | |
794 | 桓武天皇が長岡京から遷都。 | |
842 | 伴健岑(とものこわみね)・橘逸勢(たちばなのはやなり)らが皇太子恒貞親王を奉じて謀反を企てたとして流罪に処せられ、親王が廃された事件。 | |
866 | 応天門の炎上をめぐる政変。 | |
894 | 菅原道真の進言によって廃止された。 | |
901 | 左大臣藤原時平の讒言によって醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛中将源善らも左遷、または流罪にした事件。 | |
902 | 醍醐天皇の即位後に開かれた勅旨田の廃止、地方民が権門や寺社に田畑や舎宅を寄進することの禁止、寺社が未開の山野を不法に占拠することなどを禁止し、公領を回復させて国家財政の再建を目指した。 | |
939 | 常陸・下野・上野の国府を占領、一時関東を支配下において新皇を称した平将門が、平貞盛、藤原秀郷らに討たれた事件。 | |
969 | 藤原氏による他氏排斥事件。以後、藤原氏の全盛期を迎える。 | |
1051 | 奥羽の豪族安倍頼時・貞任・宗任らの反乱を源頼義・義家らが平定した戦い。 | |
1083 | 前九年の役後、奥羽に力を伸ばした清原氏の内紛に陸奥の守源義家が介入し、清原清原家衡・武衡を滅ばした戦い。 | |
1156 | 皇位をめぐる争いと摂関家の内紛により朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂しておきた内乱。 | |
1159 | 院の近臣らの権力争いに平清盛と源義朝の勢力争いが絡んだ戦乱。 | |
1177 | 京都で起こった平家打倒の陰謀事件。 | |
1185 | 壇ノ浦(山口県下関市)の海上で行われた源氏・平氏の最後の戦い。 | |
1189 | 源頼朝は、平氏を滅ぼした後も従わず不仲になった弟の義経をかくまったという理由で奥州の藤原氏を滅ぼした。治承・寿永の乱の最後の戦いであり、古代から中世への転換となった歴史的な戦い。 | |
1201 | 城長茂ら城氏一族が起こした鎌倉幕府への反乱。 | |
1213 | 鎌倉幕府内で起こった有力御家人和田義盛の反乱。 | |
1221 | 後鳥羽上皇が 鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた。 | |
1221 | 承久の乱後、鎌倉幕府が京都の六波羅に置いた役職。朝廷・公家の監視、尾張国以西の行政・裁判・軍事にあたった。 | |
1232 | 北条泰時が中心となって制定された武士政権のための法令。 | |
1247 | 執権北条氏と有力御家人三浦氏の対立から鎌倉で武力衝突が起こり、三浦一族とその与党が滅ぼされた。 | |
1274 | 中国元の大軍が来攻した時の戦い。元軍は対馬・壱岐・博多付近に上陸したが暴風雨によって引き上げた。 | |
1281 | 鎌倉時代に、元軍が2度目に日本を襲った事件。 | |
1285 | 鎌倉幕府の有力御家人安達泰盛一族が、対立していた内管領平頼綱に滅ぼされた事件。以後、北条氏の専制が強まる。 | |
1297 | 貧窮に苦しむ御家人救済のために北条貞時が発令した徳政令。売却・入質した御家人所領の無償返還、またそれに関する訴訟を受理しないことなどを内容とする。 | |
1324 | 後醍醐天皇が側近の日野資朝・俊基らと企てた討幕計画が事前に発覚し失敗した事件。 | |
1331 | 後醍醐天皇を中心にした鎌倉幕府打倒の反乱。 | |
1333 | 後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒し、天皇中心に行った政治。建武の中興とも言う。 | |
1336 | 足利尊氏・直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田貞義・楠木正成の軍が摂津国湊川(現在の兵庫県神戸市)で行われた戦い。 | |
1336 | 足利尊氏が御家人たちに政治方針を示すために制定した17条の法令。 | |
1338 | 足利尊氏が京都に開いた武家政権。 | |
1379 | 室町幕府の管領細川頼之が追放された政変。 | |
1391 | 山名氏清、山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱。 | |
1392 | 南朝(大覚寺統)と北朝(持明院統)の間で結ばれた和議と皇位継承について結ばれた協定。これによって建武3年(1336年)以来の朝廷の分裂状態が終了。 | |
1399 | 守護大名の大内義弘が室町幕府に対して反乱を起こし、堺に篭城して滅ぼされた事件。 | |
1419 | 倭寇の被害に悩む李氏朝鮮が対馬を襲撃した事件。宗貞盛の反撃を受けて撤退。 | |
1429 | 中山王尚氏が三山を統一して王国を建国。 | |
1438 | 将軍後継者問題から幕府と対立した鎌倉公方の足利持氏と、関東管領の上杉憲実との戦い。 | |
1441 | 播磨・備前・美作の守護赤松満祐が将軍足利義教を暗殺し、幕府方討伐軍に討たれるまでの一連の騒動。 | |
1455 | 室町幕府8代将軍足利義政の時に起こった、鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺したことをきっかけに幕府方と鎌倉公方方が争った内乱。 | |
1467 | 細川勝元派(東軍)と山名持豊(西軍)とが、京都を中心に11年間続けた戦乱。 | |
1493 | 将軍足利善材・管領畠山政長が出陣中、前管領細川政元が日野富子の支持のもと足利善澄を新将軍に擁立したクーデター事件 | |
1512 | 朝鮮王朝から対馬の宗氏に対して与えられた通行貿易の条件。 | |
1523 | 日明貿易の主導権をめぐって細川氏と大内氏が明の寧波において争った事件。 | |
1543 | 種子島に来航したポルトガル人によって火縄銃と火薬の製法が伝えられた。 | |
1549 | カトリックの司祭、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによって伝えられた。 | |
1555 | 毛利元就が主人の大内義隆を殺害した陶晴賢を厳島で討った戦い。 | |
1560 | 織田信長と今川義元との戦い。 | |
1570 | 織田信長・徳川家康の連合軍が、浅井長政・朝倉義景の連合軍を破った戦い。 | |
1570 | 織田信長と摂津国石山本願寺法王の顕如との間で起こった約11年間にわたる合戦。 | |
1571 | 比叡山延暦寺の僧兵が全国統一の障害となるみた織田信長が、寺を取り囲み焼き討ちした事件。 | |
1573 | 現在の静岡県浜松市三方原町近辺で起こった武田信玄軍と徳川家康軍との戦い。徳川家康が大敗したことで有名。 | |
1575 | 織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍との戦い。 | |
1576 | 織田信長が近江(現在の滋賀県)の安土に築いた。 | |
1582 | 明智光秀が主君の織田信長を京都の本能寺で襲って自害させた事件。 | |
1582 | 謀反を起こした明智光秀を羽柴秀吉軍が破った戦い。 | |
1582 | 織田家後継者及び遺領の配分を決定させるために、尾張国清州城で開催。 | |
1583 | 近江国伊香郡の賤ヶ岳付近で行われた羽柴秀吉と柴田勝家との戦い。 | |
1583 | 羽柴秀吉が石山本願寺跡に築城。 | |
1584 | 豊臣秀吉軍と徳川家康・織田信雄連合軍との戦い。勝敗がつかず長期戦となったため講和を結んで終結した。 | |
1587 | 豊臣秀吉が出したキリスト教禁止令。 | |
1588 | 豊臣秀吉が、百姓身分の者の帯刀権を剥奪し全国単位で兵農分離を進めた政策。 | |
1590 | 豊臣秀吉が大義名分によって後北条氏を征伐した事件。これによって秀吉の天下統一が成された。 | |
1592 | 豊臣秀吉が明の征服を目的に朝鮮に出兵した侵略戦争。 | |
1596 | 土佐国に漂着したサン=フェリペ号は豊臣秀吉に保護を求めたが、秀吉は積み荷と乗組員の所持金を没収した。 | |
1600 | 徳川家康の東軍と石田三成の西軍との戦い。 | |
1603 | 徳川家康が江戸に開いた武家政権。1867年まで15代、265年間続いた。 | |
1614 | 方広寺鐘銘事件をきっかけに徳川家康が豊臣家にしかけた戦。 | |
1615 | 大坂冬の陣後、和平を破った徳川家康が豊臣家を滅ぼし天下統一を決定づけた。 | |
1615 | 江戸幕府が諸大名統制のために出した法令。2代将軍徳川秀忠の名で徳川家康が出した第13条の元和の武家諸法度が最初。 | |
1635 | 大名統制のために諸大名を一定期間江戸に住まわせる法令で、3代将軍徳川家光が制度化。 | |
1637 | 江戸時代初期に天草四郎を首領とする肥前島原・肥後天草で起こった農民一揆。 | |
1639 | 禁教令から始まり、3代将軍徳川家光がこの年にポルトガル船の来航を禁止して鎖国を完成。 | |
1643 | 江戸幕府が田畑の永代売買を禁じた法令。 | |
1649 | 江戸幕府が農民統制のために発令したと伝えられる法令。 | |
1651 | 3代将軍徳川家光の死の直後に、幕府政策への批判と浪人の救済を掲げ、由井正雪、丸橋忠弥、金井半兵衛、熊谷直義などによる幕府転覆を計画した事件。由井正雪の乱ともいう。 | |
1657 | 当時の江戸の大半が焼失した大火災。振袖火事ともいわれる。 | |
1669 | シブチャリ(現北海道日高郡新ひだか町)の首長シャクシャインを中心とした、松前藩に対するアイヌ民族の大規模な蜂起。 | |
1685 | 5代将軍徳川綱吉の時代に発せられた、動物愛護の法令の総称。 | |
1702 | 旧赤穂藩士大石内蔵助良雄以下46名が、吉良上野介義央邸に討ち入り、旧藩主浅野内匠頭長矩の仇をはらした事件。 | |
1703 | 千葉県野島崎沖が震源とされている、関東地方を襲った巨大地震。江戸、小田原の被害が特に大きかった。 | |
1707 | 江戸時代中期に起きた富士山の噴火。 | |
1714 | 江戸城大奥の女中絵島が、歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことが引き金となり、関係者1400名が処罰された事件。 | |
1715 | 新井白石が長崎奉行大岡清相の協力で起草し、江戸幕府が施行した国際貿易額を制限するための法令。 | |
1716 | 8代将軍徳川吉宗が享保1年~延享2年に行った江戸幕府の政治改革。 | |
1721 | 8代将軍徳川吉宗が政治・経済から日常の問題まで、町人や百姓の要望や不満を聞くために、評定所の前に設置した投書箱。 | |
1732 | “江戸四大飢饉の1つ。冷夏と害虫により中国・四国・九州地方の西日本各地、とりわけ瀬戸内海沿岸一帯が凶作に見舞われ、餓死者12 | |
1742 | 8代将軍徳川吉宗が裁判・行政の準拠として編纂させた江戸幕府の基本法典。 | |
1758 | 朝廷内の尊王論者の弾圧事件。 | |
1787 | 老中松平定信が天明7年から寛政5年に行った江戸幕府の政治改革。 | |
1790 | 老中松平定信が寛政の改革の一環として、昌平坂学問所で朱子学以外の学問を禁じ、役人登用試験も朱子学だけにした。 | |
1808 | 鎖国体制のさなか、長崎港にイギリスの軍艦が不法侵入し、オランダ商館員を人質として水や食料、薪などを強要して去った。 | |
1824 | シーボルトが長崎郊外に診療所兼学塾を開いた。 | |
1825 | 江戸幕府が日本の沿岸に近づく外国船に対し、理由を問わず無差別に砲撃し、撃退せよと命令したもの。 | |
1828 | オランダ商館付の医師シーボルトが帰国の際に、所持品の中から国禁の日本地図や葵紋付き衣服が見つかり、それを送った幕府天文方・書物奉行の高橋景保他十数名が処分された事件。 | |
1837 | 大阪の元役人とその門人らが起こした江戸幕府に対する反乱。 | |
1837 | 日本人漂流民を乗せて浦賀に来航したアメリカのモリソン号を幕府が砲撃した事件。 | |
1839 | 高野長英、渡辺崋山らがモリソン号事件と幕府の鎖国政策を批判したため捕らえられ処罰された言論弾圧事件。 | |
1841 | 老中水野忠邦が天保12年~14年に行った江戸幕府の政治改革。 | |
1853 | 日本の開港を求めて浦賀沖に来航。 | |
1854 | 江戸幕府とアメリカ合衆国が締結した条約。神奈川条約ともいう。 | |
1856 | 現在の山口県萩市に吉田松陰が私塾を開いた。高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文など明治維新に活躍した多くの人材を輩出。 | |
1858 | 江戸幕府がアメリカ駐日総領事ハリスと、貿易の自由を認めた最初の条約。アメリカ側に領事裁判権を認め、日本に関税自主権がなかったことなどから、一般に不平等条約と言われる。 | |
1858 | 翌年にかけて尊皇攘夷派運動に対して大老井伊直弼が行った弾圧。 | |
1860 | 大老井伊直弼が桜田門外で水戸藩、薩摩藩の浪士らの襲撃を受けて暗殺された事件。 | |
1862 | 横浜付近の生麦村で、薩摩藩島津久光の行列を騎乗のまま横切ったイギリス人が薩摩藩士に殺傷された事件。 | |
1863 | 生麦事件で憤激したイギリスが艦隊を送り、鹿児島湾で薩摩藩と戦った。 | |
1864 | 新選組が京都三条木屋町の旅館池田屋に潜伏していた尊王攘夷派志士を襲撃した事件。 | |
1864 | 京都に出兵した長州藩と、朝廷を守護する薩摩・会津藩などが御所の蛤門周辺で戦った事件。 | |
1865 | 坂本龍馬が長崎で海運貿易会社を結成した。 | |
1866 | 薩摩藩と長州藩との間で結ばれた討幕の軍事同盟。 | |
1866 | 伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。 | |
1867 | 15代将軍徳川慶喜が征夷大将軍の職を辞し、政権を朝廷に返上した。 | |
1867 | 大政奉還後、長州・薩摩両藩が摂政・関白・幕府の廃絶、総裁・議定・参与の三職の設置、全て神武創業のはじめに戻すことなどを決めたもの。 | |
1867 | 坂本龍馬と中岡慎太郎が京都河原町の近江屋で暗殺された事件。 | |
1868 | 旧幕府軍および会津・桑名藩兵と、薩長軍との内戦。戊辰戦争の緒戦となった戦い。 | |
1868 | 戊辰戦争の局面のひとつで、榎本武揚を中心とする旧幕府軍と新政府軍との最後の戦闘。 | |
1868 | 日本での一世一元の制による最初の元号。名前の由来は、『易経』の中の「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」という言葉の「明」と「治」をとって名付けられた。「聖人が南面して政治を聴けば、天下は明るい方向に向かって治まる」という意味がある。 | |
1868 | キリスト教禁止などを含む、太政官が立てた5つの高札で、民衆に出した最初の禁止令。 | |
1868 | 明治天皇が公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針。 | |
1868 | 新政府軍と旧幕府軍との内戦。 | |
1871 | 明治政府が江戸幕府以来の藩を廃止して地方統治を中央管下の府県に一元化した行政改革。 | |
1873 | 国民の兵役義務を定めた日本の法令。 | |
1875 | 朝鮮半島の西海岸で水路測量の名目で示威活動中の日本の軍艦雲揚が江華島砲台と交戦した事件。 | |
1877 | アメリカの生物学者のモースが東京都品川区で発見した縄文時代の遺跡。 | |
1877 | 西郷隆盛を中心とする鹿児島士族の明治政府に対する反乱。 | |
1884 | 埼玉県秩父郡で起こった自由党員と農民による決起事件。高利貸しへの返済延長や村民税の減税などを要求、1万人近い農民が武装し、高利貸しを襲撃、役所・警察などを占領した。 | |
1889 | 2月11日に公布、翌年11月29日に施行され、第二次世界大戦後まで効力のあった近代立憲主義に基づく日本の憲法。 | |
1891 | 来日したロシア皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が警備にあたっていた巡査津田三蔵に斬りつけられ負傷した、暗殺未遂事件。 | |
1892 | 日本海軍の水雷砲艦千島の沈没補償をめぐる日英間の紛争事件。 | |
1894 | 主に朝鮮半島をめぐる日本と清国の間で起こった戦争。 | |
1895 | 下関で日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章が調印した日清戦争の講和条約。 | |
1902 | 日本とイギリスの軍事同盟。 | |
1904 | 翌年にかけて満州・朝鮮の支配をめぐって起こった日本とロシアとの戦争。 | |
1905 | アメリカのポーツマスで結ばれた日露戦争の講和条約。 | |
1909 | 中国東北地方のハルビンで朝鮮の革命家安重根に射殺された。 | |
1910 | 幸徳秋水ら多数の社会主義者・無政府主義者が明治天皇の暗殺を企てたとして、大逆罪で検挙、処刑された事件。 | |
1912 | 名前の由来は、『易経』の「大亨は以って正天の道なり」という言葉の「大」と「正」を取って名付けられた。「天が民の言葉を嘉納し、政(まつりごと)が正しく行われる。」という意味がある。 | |
1913 | 第一次護憲運動によって第三次桂内閣が倒された政変。 | |
1914 | 桜島はかつては島だったが、この噴火で大隅半島と陸続きになった。 | |
1914 | ドイツのシーメンスによる日本海軍高官へのわいろ事件。 | |
1918 | ロシア軍によって囚われたチェコ兵を救出する、という口実で、連合国(日本、イギリス、アメリカなど)がシベリアに出兵した。 | |
1923 | 9月1日、関東全域と静岡県・山梨県の一部を襲った大地震による災害。 | |
1925 | 加藤高明内閣の時に制定され、満25歳以上の男子だけに選挙権が与えられた。 | |
1926 | 名前の由来は、『書経』の「百姓昭明、協和万邦」という言葉の「昭」と「和」を取って名付けられた。「国民の平和と世界の共存繁栄を願う」という意味がある。歴代元号の中で最も長い時代。 | |
1927 | スイスのジュネーブで開かれた、イギリス、アメリカ、日本3国の補助艦制限に関する国際軍縮会議。 | |
1928 | 田中義一内閣が社会主義者・共産主義者を治安維持法違反の容疑で一斉検挙した事件。 | |
1930 | 前年にアメリカ合衆国で起こった世界恐慌の影響が日本にもおよび、日本経済を危機的状況に陥れた恐慌。 | |
1931 | 奉天(現藩陽)郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路爆破事件を契機として始まった日本軍の中国東北への侵略戦争。 | |
1932 | 5月5日、青年将校らが首相官邸、日本銀行などを襲撃し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した反乱事件。 | |
1936 | 陸軍皇道派青年将校らが起こしたクーデター事件。首相官邸、警視庁などを襲撃し、永田町一帯を占領した。 | |
1937 | 北京郊外の盧溝橋付近で日本軍と中国軍が衝突した事件。日中戦争のきっかけとなった。 | |
1937 | 盧溝橋事件に始まり、1945年の日本の無条件降伏にいたるまでの日本と中国の戦争。 | |
1938 | 第1次近衛内閣の時に制定された法律。戦争に備え、国の経済や国民の生活全てを統制できる権限を政府に与えた。 | |
1939 | 日・独・伊の三国同盟を中心とする枢軸軍と、米・英・仏・ソ連・中国などの連合国軍との全世界的規模の戦争が勃発。 | |
1940 | 日本、ドイツ、イタリアとの間で結ばれた軍事同盟。 | |
1941 | 日本とソ連の平和友好関係と相互不可侵を決め、両国のどちらかが他国と戦争になった際には、他方は中立を守ることを約束した。 | |
1941 | 第二次世界大戦のうち、アジア太平洋地域が戦場となった大日本帝国など枢軸国と連合国(主にアメリカ合衆国、イギリス帝国、オランダなど)との戦争。 | |
1942 | 北太平洋のミッドウェー諸島近海で起こった日本とアメリカとの戦争。日本が大敗した。 | |
1943 | 静岡県静岡市で工事建設の際に発見された弥生時代の遺跡。 | |
1945 | 3月10日未明、東京下町地区を中心とした、米軍のB29約300機による大空襲。死者約10万人、焼失家屋約27万戸、罹災者は約100万人に上った。 | |
1945 | 8月15日に昭和天皇がラジオで終戦の詔書を日本国民に発表した。 | |
1945 | アメリカ、イギリス、中国が日本に対して第二次世界大戦の無条件降伏を要求し、戦争終結の条件を提示した共同宣言。13項目から成る。 | |
1946 | 群馬県みどり市で相沢忠洋によって発見された旧石器時代の遺跡。 | |
1947 | 5月3日に施行された、日本の現代憲法。 | |
1951 | 第二次世界大戦における連合国と日本の間の平和条約。 | |
1951 | 日本とアメリカ合衆国の安全保障のため、日本にアメリカ軍(在日米軍)を駐留することなどを定めた二国間条約のこと。 | |
1953 | サンフランシスコ条約と日米安全保障条約発効後、アメリカは基地が少なく本土復帰運動が激しい奄美群島の統治を諦め、施政権を返還。 | |
1956 | 第二次世界大戦での日本とソ連の戦争状態を終わらせ、国交回復のための共同宣言。 | |
1958 | 東京都港区芝公園にある高さ333mの電波塔。正式名称は日本電波塔。 | |
1964 | 10月10~24日に東京で開かれた第18回夏季オリンピック。 | |
1970 | 大阪府吹田市で開催された、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会。大阪万博とも言われる。 | |
1972 | 2月3日~13日まで札幌市や千歳市で行われた、日本およびアジアで初めての冬季オリンピック。 | |
1972 | 終戦後もアメリカの統治下にあった沖縄が日本に返還された。 | |
1986 | 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある弥生時代の環濠集落跡が発見された。 | |
1989 | 名前の由来は、『史記』の「内平外成」、『書経』の「地平天成」からで、「内外、天地とも平和が達成される」という意味がある。 | |
1989 | 竹下内閣時に導入。税率は3%。 | |
1993 | 正式名称は日本プロサッカーリーグ。当初は10クラブで開始。 | |
1993 | 自然遺産として登録される。法隆寺、姫路城、白神山地とともに日本初。 | |
1993 | 自然遺産として登録される。法隆寺、姫路城、屋久島とともに日本初。 | |
1993 | 文化遺産として登録される。法隆寺、白神山地、屋久島とともに日本初。 | |
1996 | 文化遺産として登録される。 | |
1998 | 2月7日~22日まで長野市とその周辺を会場に開催された、20世紀最後の冬季オリンピック。 | |
2005 | 自然遺産として登録される。 | |
2011 | 自然遺産として登録される。 |
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